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「上原から、世界初のサービスをつくる」TDMS inc. ペ・ヨンボさん

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突然ですが、100枚からアナログレコードを制作できる「QRATES(クレイツ)」というサービスをご存知でしょうか?

通常、レコードをつくるとなると、数百枚単位での発注でないとダメ、コストが高い、実績がないと工場が受け入れてくれない、など数々のハードルが必要なのですが、、

レコード制作サービス QRATES

http://qrates.com

QRATESを使うと

・100枚からレコードの制作が可能

・クラウドファンディング形式で、事前に購入者を募って最小限のリスクでレコードをつくれる

・ブラウザ上で盤面カラーのセレクト、レーベル面やスリーブのデザインも可能

以上のように、劇的にレコード制作が簡単になるのです。

レコード制作サービス QRATES 制作画面

QRATES」のレコード版制作画面。完成予想図はリアルタイムに3Dで表現され、楽しみながら制作できる。

欧米圏を中心に世界中で愛用されている「QRATES」ですが、こちらを手掛けている会社が代々木上原にあるのです。

今回の【上原人物名鑑】は世界初のレコード制作サービス「QRATES」や音楽メディア「FNMNL」を手がける「トウキョウ・デジタルミュージック・シンジケイツ株式会社(TDMS inc.)」 代表取締役のBae Yong-Bo(ペ・ヨンボ)さんにご登場いただきます。

 

代々木上原 QRATES レコード制作や音楽メディアを手がける TDMS inc. ヨンボさん
こんにちは!よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

今回は、ヨンボさんという「人」の魅力に迫りつつ、いかに世界初のサービス「QRATES」を生み出したのか、といった話を伺えたらと思います。

前回前々回の記事を読ませてもらったんですけど有名な方ばっかりでていますよね?僕で大丈夫かなと、、

「上原は365日中250日飲み歩きたくなる街」GMT 三浦由貴さん


「お店は、街の人々に育ててもらうもの」料理人・丸山 智博さん

なにをおっしゃいますか!もちろんです!

あと経歴は褒められたものではないというか、人には言えない話もあるのでそこは察してください(笑)

オブラートに包んでお届けしますね(笑)。さっそくですが、お生まれはどちらなんですか?

生まれは愛知県名古屋市で、小・中学校と高校の途中まで名古屋にいました。いわゆる在日韓国人3世で、生まれも育ちも日本です。

代々木上原 QRATES レコード制作や音楽メディアを手がける TDMS inc. ヨンボさん

何をやっていいのかわからなかった青年時代。
インターネットとの出会いで人生が動き出す。

どんな青春時代を過ごしたのですか?

ざっくり言うと、中学ぐらいで遊びが過ぎるというか、やや非行に走り始めまして、、

さっそく「言えない」系の話がきましたね。

そうですね(笑)。なので、詳細は割愛しますが、高校に入ってからは、パンクロックに傾倒しました。自分たちもバンドをやったりして。

おお。特に影響を受けたバンドはありますか?

「ザ・クラッシュ」とか、いわゆる初期のオリジナルUKパンクですね。そのあたりのバンドは全部好きでしたけど。

ヨンボさんの世代は、パンクロックを聴いて人生が変わった!という方が多いように思います。

そういう時代だったんでしょうね。パンクはいわゆる入り口で、その後はヒップホップ、ダンスミュージックと好きな音楽は変遷していきました。

やはり音楽から影響を受けた部分は大きいですか?

音楽は好きでしたけど、自分のルーツ、とまで言っちゃうとかっこよすぎると思います。自分は在日で、いわゆるマイノリティだったので、パンクやヒップホップの精神性に共感した部分はありますけどね。

高校はバンドをやりつつ、その後は?

まず、高校はあまり行かなかったので中退という形になりまして、、両親がせめて高校は卒業してほしいということで、「3泊4日の韓国旅行へ行くぞ」と言われついていくと強制的にパスポートを取り上げられ、韓国の高校に入学して3年間を過ごしました。

3泊4日のつもりが3年間!この時点でかなりダイナミックな人生ですね。韓国語は話せたのですか?

いえ、まったくです(笑)。言葉もまったくわからない状態から、なんとか卒業して。帰国後は運良く横浜の大学に入って大学もそれなりに過ごして。このときは何をやりたいかわからず、卒業後は就職せずに、2年くらいフラフラしてたんです。

いわゆる、就職という選択肢はなかったんですか?

小さい頃から、就職は考えるな、といわれていて。今はほとんどないとおもいますが、少なからず「在日韓国人」というだけで就職が難しいといわれていました。自分の手でなにか商売をやるしかないのですが、何をやるべきか悶々としながら、2年ほどフリーターをやりつつお金を貯めて、アメリカへ行きました。

代々木上原 QRATES レコード制作や音楽メディアを手がける TDMS inc. ヨンボさん
なぜまたアメリカへ?

英語を勉強するためです。学生時代、海外へ行ったときに相部屋に泊まると、世界中の人が集まってるのに、深い話になると全然参加できなかったんです。英語を話せないことがコンプレックスでした。

すごくわかります。笑うタイミングとかがめっちゃズレたりします。

そのタイミングで渡米して英語を身に着けてよかったと思いますが、いちばん大きかったのが、インターネットとの出会いです。当時、1996-7年はアメリカ全体で、ネットがインフラとして普及しはじめていた時期なんです。これを仕事にしたい!と思いました。

インターネットは、出会ったときにビビッときたものがあったのですか?

「モノを売ることができる」ことに惹かれました。自分で商材を見つけて、国内外問わず、商売ができるんだ!と。帰国してからは、WEBのデザインや開発、コンサル事業をやりつつ、いろんなものを売ってました。

たとえばどんなものを売っていたのですか?

そうですね、ヨーロッパまで洋服を買い付けに行って売ったり。もっと言えば、在庫を抱えずに、店内で写真を一通り撮って、その日の夜、ホテルからヤフオクとかに出品して、売れたら次の日お店へ買いに行ったりだとか。

代々木上原 QRATES レコード制作や音楽メディアを手がける TDMS inc. ヨンボさん
amazonの創業ストーリーにも似たような話があったような….

あくまで個人の範囲で生活費を稼ぐためにやっていたので、全然褒められるようなことじゃないんです。このままずっとネット通販をやるわけにはいかないと思い、弟が原宿で韓国料理屋をはじめるのを手伝ったりもしていました。

飲食もやられていたんですね。

はい、オーガニック食材を使う韓国料理レストランで、一気に3店舗くらいひろまりました。

すごいじゃないですか!

ただ、飲食は拡大できる店舗も個人では限られているし、好きな音楽や、WEBを活かした事業をやりたいと思っていたんです。

>>次ページ:デジタルと音楽の可能性を追い求め続けていたからこそたどり着いた、世界初・オンデマンドのレコード製造販売サービス

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