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「18年間上原を拠点にして見えてきたもの」アートディレクター・Nescoさん

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代々木上原 アートディレクター ネスコさん

なぜNescoさんは「売れる」ブランドをつくれたのか

ー気になったのが、ほとんど経験もないなか、なぜそもそも「売れるブランド」をつくることができたのか、そこがすごいなーと
たしかにフリーターの後、2年間しかアパレルに勤めてないし、そこも「Tシャツにプリントするだけ」とかだったので。本格的な服作りを学び始めたのは自分でブランドをはじめてからでした。よくやったなとおもいますよ。いま考えると不思議です。なんでやれたんだろう?(笑)

ー才能ですかね
うーん、洋服が好きではありましたけどね。特に古着が好きで、学生のときは古着屋でバイトしたり。

ーたとえば地方の大学を出て、そこから東京にでると、人それぞれだとはおもいますけど、文化的なところでは4年のブランクがあるような気もするじゃないですか
それがね、東京に出てくるの遅かった〜みたいな意識は全くないんですよ。

ーおお。そうなんですか
東京出てきたときに、まわりの人たちが「僕たちは田舎者なんで」とかちょっと卑下するような考え方に触れて、え?そんな感じなの?って。

代々木上原 アートディレクター ネスコさん
ーNescoさんにそういった意識は全くなかったと
23区外出身の友達が「俺なんて立川だから」「国分寺だから」とか、都心から離れていることに対してのコンプレックスを抱いていましたけど、北海道民の感覚からすれば、え?電車で速攻これるじゃん。全然近所じゃん! ですよ。

ーたしかに、スケールが全くちがいますね

僕が育った帯広の下にあるまちはめちゃめちゃ田舎で、人もあんまりいないし、保育園、小中高ってほぼ、おんなじ友達なんですよ。田舎の度合いがちがいすぎたのか、ちょっと感覚がちがうんですよね。

ーなるほど。その違いはすごく興味深いです
今思い返せば、うちの実家や近所の環境って、どこか海外っぽい感じでした。よく遊ぶ牧場のひとたちはみんな留学経験があったり、チーズつくったり、自分で店持っていろいろやってたりして。大自然に囲まれてることもあって、豊かな生き方をしてる人が多いまちなんですよね。まちの見た目自体はボロボロなんですけどね(笑)

ー北海道出身の方って「こういう人たち!」ってイメージがあんまりないので、違う感性をもっているというのは新鮮です
どうなんですかね、人がいないので、人に興味があることは間違いないです。みんな仲良いし、自由な感じがすごいあって。

ーご両親も酪農関係のお仕事ですか?
父親は公務員で、母親方の家系が少し変わっていましたね。母親は東京の「桑沢デザイン研究所」でファッションデザインの勉強をしていたそうで、僕もブランドをやりはじめるまで知らなかったんですけど。洋服好きな血筋なんだと思います。
おじいちゃんに至っては酒屋さんをやりつつ、8mmフイルムで自然風景映画みたいなのをずっと自主制作しているひとだったんです。自宅に映写室があって、大晦日や正月になると親戚みんなで集まって上映会をしていました。

代々木上原 アートディレクター ネスコさん
ーいい話ですね。豊かな感じがします
そのころワープロとかもないので、筆でタイトルを描いたりして、ペンカッターできって、並べて撮って、それをタイトルにするとか。そういったものづくりの血筋は母親方のほうから入ってきたのだと思います。

ーNescoさんの器の大きさや、クリエイティビティの源泉がそこにあるような気がしますね
そういう環境に育ったからか、東京だからどうこう、というのは全然ないんですよ。気張って渋谷に住みたいとか、どこどこに住みたいとかもないです。ファッションブランドをやるから表参道や青山に事務所がないと!みたいなのも全くなくて。

ーそんなNescoさんだからこそ、拠点として代々木上原を選んだわけですよね。18年前から上原の豊かさを見抜いていたのですか?
いえ、それが、上原に来たのはめちゃくちゃ偶然ですね。

 

次ページ:Nescoさんが上原を選んだ理由とは?

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